ジャニーズと女性アイドルグループとの関係を再考してみる

あまりこちらでは雑記的なことはやらないようにしようと最近は思っていたんですが、前の記事とリンクするので書いておきます。


「ジャニー喜多川が音楽ビジネスに与えた影響は? 突発的アイデアがやがて業界の「定番」に」


以前、「日本現代グループアイドルの起源」で取り上げた『AKB商法とは何だったのか』の著者さやわか氏による記事ですが、まあ、その時のジャニーズの話題とも繋がるところの内容です。

確かに、氏が指摘しているようにジャニーズと現代的な女性アイドルグループとの関係性は、はっきりとは見えません。
私が思うに、直接的な影響は少なくとも80年代に関しては無かったと考えてよいと思います。前にも書いたように逆に女性ソロアイドルのビジネスの方が本来はグループ中心のジャニーズに影響して、70年代から80年代初頭にソロ歌手をデビューさせたということは言えるかもしれませんが、その逆は、ほとんど無かったと思います。
(ネーミングで物議を醸したという噂もある「少女隊」に関しては多少あったかもしれませんが…)。


完全に推測の説ですが、一つには女性版ジャニーズをやるには当時は宝塚だけじゃなく、松竹歌劇団日劇ダンシングチームが、まだ存在していたので差別化が難しいという環境もあるかもしれません。
「帝都超少女歌劇団」というキャッチフレーズも使っていたという東京パフォーマンスドール南青山少女歌劇団、制服向上委員会など、劇場公演をメインにした女性グループが生まれるのは、古いタイプの大所帯女性グループであるSKD、NDTが解散していく時期でした。

スクールメイツは育成スタッフがジャニーズと一緒だったようですが、こちらはデビュー前のタレントが所属する機関です。
基本として女性アイドルはテレビを通じてソロで売り出すものだったわけですが、その時代が終わった後に徐々にグループでの活動が主流になって行ったわけです。
そこで漸くジャニーズのビジネスに目を向け始めたところはあったのではないでしょうか。


もう一つ、芸能活動における性差の問題を考えておきましょう。やはりかつては芸能以外の活動と同じように、女性は結婚後は家庭に入るというのが主流でした。つまり引退するので、女性の芸能活動は持続的でない部分が大きかったわけです。アイドルでいえば山口百恵が顕著な例になります。
残酷な言い方をすれば女性の青春時代を搾取しても、その後は引退してもらう道があったということです。
これが時代が変わり、雇用機会均等法の成立とも時期を同じくして、松田聖子が出産後も「アイドル」として活動を続け「ママドル」というような呼ばれ方も生まれます。
初めて大所帯の女性アイドルグループとして大成功したモーニング娘。の第一期メンバーの中澤裕子さんはデビュー当時、既に社会人の年齢でした(私は同い年です)。


更に重要なのは芸能タレントを応援する女性は、その娘にも影響を及ぼすということです。宝塚とジャニーズは、そのような女系のファンによって連綿と支えられている構造があります。男性アイドルファンとその息子にはそういう関係は、ほぼ無いでしょう。
まあ女性は母親に結婚を考えている男性のことを相談するでしょうが、男性も、父親ではなくて母親に相談するケースの方が多いのでは。

つまり、どうしても女性アイドルはジャニーズとは異なりファンの継承というものがファミリーツリーとして続きにくいところがあります。
これがジャニーズが「アイドル冬の時代」の低迷期以外は隆盛を誇っているのに対して、女性アイドルは定期的に下火になる原因かとも思われます(70年代後半も実は冬の時代に近いものがありました)。

ハロプロの場合は、その点、女性ファン層も比較的大きいので、母娘で継承されて継続している部分もあるでしょうが、やはりファンが世代交代してAKBが全盛になりました。
ただし、あまりにも宝塚的な女性を中心とするファン形成をしてしまうと男性にとっての「アイドル」から離れていってしまうというところはあります(これが宝塚は決してアイドルグループの先駆けとは言えない、ということの理由です)。
一方、ジャニーズはと言えば、コンサートはやはり女性ばかりでしょうが、男性にもファンがいますし、ファンとまでは行かなくても、楽曲をCDやカラオケで歌うなどで作品を享受することは多いので、こちらの方が女性グループも参考にできます。
おそらくはハロプロもジャニーズから取り入れられるところは探しながらやってきたでしょうし、AKBのソロ活動の露出の仕方にも影響しているかもしれません。AKBはミュージカルを継続してやっていないのがジャニーズ的ではありませんが。逆にハロプロはドラマでの展開が少なくなっているのがジャニーズ化できてないところでもあるのは、これも前述の北川昌弘氏の著書で指摘されているところです。
というような、ファミリーとしてのファンの形成まで含めてジャニーズの影響なのですが…まあ『AKB商法』の著者は、あまりそちらには興味ないようで。


最後に所謂「アイドル冬の時代」がジャニーズの低迷期と連動しているか、という件について考えておきましょう。これは実際のところ「影響関係はある」と考えるのが適当だと思います。
どうしても、今は一般の媒体では、ちゃんと触れる人がいないのですが、89年の中森明菜さんの自殺未遂事件の現場には近藤真彦さんがいたわけですし、記者会見にも同席しています。
更には、この事件には近藤さんと他の女性アイドルとの不倫が関係しているという噂も喧伝されたところです。
つまり、この事件は80年代を代表する男女のアイドルが3人関係していたとされていたので、社会的な影響は非常に大きいものでした。女性男性問わず、アイドル現象に対する社会の幻滅が広まることになった事件だったわけです。
ジャニーズについては、もう一つ、元フォーリーブス北公次さんによる暴露本『光GENJIへ』も対する世間のマイナス評価につながるものでした。

あれほど一世を風靡した光GENJIも徐々に人気が下がって行き、続いてデビューした忍者は売れずというジャニーズの低迷期に繋がったわけです。
ようやく復活したのはデビュー当初は、やはり上手く行かなかったSMAPが今までのジャニーズとは違うストリート的、本音重視のカラーを打ち出してブレイクして以降になります。これに続いて女性アイドルも沖縄アクターズスクール出身の安室奈美恵、MAX、SPEEDのような本格的なダンスを中心にしたスタイルが主流になる時代に突入します。
これは、つまりかつてとは逆にジャニーズの男性グループのスタイルが女性グループに影響を与えた流れかもしれません。
ただし、おそらくは直接的に意識したのはグループを複数抱えることになったハロプロが初めてなんじゃないかと思うのですが…。