日本現代グループアイドルの起源

さやわか氏による『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)は、AKBのCDプロモーション戦略を中心として、現在のアイドルビジネスを論じた力作。非常に隙を見せないロジックで大変、緻密な論を展開しています。
ただし、細部では隙が無いのに全体として薄っすらと納得できない感触が残る不思議な本でもありました。
結論に近い部分について考えてみましょう。著者は所謂「アイドル戦国時代」といわれる競争状態が終わり、今後、安定した多様性が保持される理想的な状況へ転換するにあたって、複数のアイドルを応援する=推す「DD(誰でも大好き)」というスタイルに可能性を見出します。
しかし、単純に考えて、これはファン個人の志向性と全体のシーンを短絡しているとも言えます。
完全なDDというものは、抽象的な理念でしかありませんし、いわゆる「KSDD」と呼ばれるような剛の者たちは、本当に限られた人たちでしかありません。
DD的なアイドルの楽しみ方をしているファンの多くは、日々の生活の限られた時間(可処分時間)の中で、数多くのアイドルの中から選択を強いられて「行きたい現場が複数かぶって大変だよー」と悲鳴を上げたりしてるわけです。

そのようなDD的なファンよりも、今までアイドルに全く興味が無くても、ある特定のアイドルに強烈にはまってしまうようなファンの方が、シーンを拡大して、最終的に多様性を齎すと考える方が適切なのではないかと思われます。
本書でDDと関連付けて語られる「推し増し」というものも、本来AKB内の閉じられたパイの中でのファンの選択行動から生まれた言葉に過ぎません。

AKB商法とは何だったのか

AKB商法とは何だったのか

ももクロのファンである所謂「モノノフ」を自称する人たちの多くが「ももクロは他のアイドルとは違う」という風に語ることが多いのは、そういう強い忠誠心のあり方を示しているのでしょう。初期ももクロは「今、会えるアイドル」というキャッチフレーズで、チケットが取りにくくなったAKBファンたちにアピールして、DD的なファンの獲得から始めたグループですが、そこから競争的な「戦国時代」を演出する戦略を経て、最終的にはDD的なスタイルを維持するようなファンを重要視せずに、アイドルヲタク暦の浅いモノノフを自称する忠誠心をアイデンティティとするファン(これは若年層に限りません)を拡大することで、トップに昇りつめたと考えて良いではないでしょうか。
そこでは「ももクロはアイドルの枠を超えている」という極端な論調もあるわけですが、これにしても実際のところ、さほどアイドルに詳しいファンの発言ではありませんから、まずはアイドルの基準はAKBであって、「ももクロはAKBではない」と言っているのに等しいと理解した方が良いでしょう。
ですから、発言内容自体は、ほぼ間違っていますが、ももクロをアイドルとする観点からすれば、このような発言が多くなるのは、アイドルを多様化する結果を齎すものと考えられます。ただし、それは「アイドル」という呼称自体を無限に拡大解釈することにもなるわけで、所謂、「浸透と拡散」の問題に行き当たります。


その意味で大変、興味深いのは「AKB48はアイドルではない」と言う観点から語られる北川 昌弘とゆかいな仲間たち『山口百恵AKB48 ア・イ・ド・ル論 』(宝島社新書) です。こちらは細部では疑問を感じる部分は多少ありますが、全体的には、とても面白い論を展開しています。
北川氏の立場は明確です。銀幕のスターとは異なり、「アイドル」はテレビが生んだものだ。その意味で、近年のテレビよりもライブでの活動を重点とするAKBは「アイドル」とは別のものである、と。またグループという形態の問題からグループアイドル=「GI(仮)」という呼び方で、歴史的な切断を見出しています。
「GI(仮)」という呼び方は、ちょっと定着しにくそうなのが残念ですが、従来型のアイドル論では、基本的に連続性を見ていたところを、「アイドル」ではないという前提で、大きな切断を見出すのは、議論として結構、生産性があるのではないかと思われます。
また著者本人が認めているようにアイドル音楽については、ほぼ興味が無いということも、逆にアイドルの多角的な側面を語ることに役立っています。

本書でも違いを際立たせるために類書と同様にソロアイドルの歴史が語られますが、今後は違いを前提として、グループアイドルだけを独立させて歴史を語っても良い時代に入ったのかもしれません。
これは筆者の持論なのですが現行の大人数グループアイドルの形態で一番、最初に成功したのは男性アイドルグループの光GENJIだと思っています(それ以前は人数的にはフィンガー5の5人が限界でした)。ジャニーズは、さやわか氏が適切に指摘しているようにAKB商法に繋がる複数タイプのレコードの売り方した初期の例でもあります。
このへんソロを含めた女性アイドルの変遷を中心に考えてしまうと見えないところかと。

ひとつだけ北川氏の論への若干の異論を書いておけば、やはりAKBでも今のような人気を獲得するにはテレビの力は大きかったと思えるところです。
私が考えるにAKBは「HD大型ワイドテレビ時代」のグループです。確かにAKBの16人を1チームとする基本編成は劇場に適したもので、ちょっと前までのテレビ環境向きではありませんが、2011年の地デジ放送の開始にあわせたテレビの買い替えによって、十分に家庭でも鑑賞できるものになったと言えます。

山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論 (宝島社新書)

山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論 (宝島社新書)

ということでジャニーズについても考えてみないといけないな、と思い、大谷能生速水健朗、矢野利裕による鼎談本『ジャニ研!: ジャニーズ文化論』(原書房)を読んでみましたが…答えは全部書かれてました。
60年代に活躍した初代ジャニーズは元々、少年野球チームのコーチをしていたジャニー喜多川氏が映画『ウェストサイドストーリー』に感化されてミュージカルを上演するのを目標に始めたものなので、グループが基本ですし、テレビよりも舞台重視、つまり現在の女性グループアイドルと同じです。
著者たちは最初はジャニーズとの違いの方を語っていますが、最後には女性アイドル、特にハロプロに詳しいライターの南波一海氏が登場して、同一性をクリアにしています(上記の地デジ対応の問題も南波氏は指摘してます)。北川氏もハロプロとジャニーズに関係を語っていますが、ドラマや映画などで成功していない点を除けば、かなりハロプロはジャニーズに近い位置にいると言っても良いです。

ジャニ研!: ジャニーズ文化論

ジャニ研!: ジャニーズ文化論

振り返ってみればジャニーズでもソロが目立った時期は女性ソロアイドルの誕生と衰亡と重なります。まず最初にジャニーズで成功したソロではる郷ひろみは、実は女性アイドルの先駆けである南沙織よりも後のデビューです(レコード会社は同じCBSソニーで制作陣は重なっています)。ただ、郷さんにしても「新御三家」というかたちで、西城秀樹野口五郎とのライバル関係の中でシーンを作った面がありますし、トシちゃん、マッチも、ヨっちゃんと一緒に、元々は「たのきんトリオ」でした。その後にデビューするのは、またグループに戻って、シブがき隊、そしてジャニーズの一つの完成形である少年隊へと至るわけで、ソロの方が例外であったわけです。
と考えると女性を含めて「アイドル」の全盛であるソロ歌手をテレビを中心に発掘され、PRされた時期の方を、ある種の例外と考えることも出来るかもしれません。

また今の女性グループ全盛期を「女性アイドルのジャニーズ化」として考察する観点もあるでしょう。それを、より大きく考えると日本の芸能のアメリカ的エンターテインメント化でもあります。ジャニ研が指摘するようにジャニー喜多川氏は、ほぼ「日系アメリカ人」です。また南沙織アメリカ占領下の沖縄から登場しますが、もう一組、男女混合グループであるフィンガー5も同時期に大人気になりました。こちらの制作陣はピンクレディーに引き継がれます(追記:ちょっと表現が広義すぎて誤解を招くものでしたね。作家陣が共通していて作詞は両方とも阿久悠ピンク・レディーのメイン作曲家、都倉俊一も数曲フィンガー5に提供しています)。

次に沖縄を通してアメリカ的なアイドルグループが登場するのは安室奈美恵を擁するスーパーモンキーズを嚆矢とする沖縄アクターズスクール勢とライジングプロ。こちらは、よりR&B色の強いエンタメでした。ここで音楽プロデューサーとして活躍したのが、同じくR&B色の強いステージを行っていた東京パフォーマンスドールの楽曲制作にも関わっていた小室哲哉だったのは、自然の流れだったのでしょう。ジャニーズも光GENJI、忍者と和風の要素が加わったグループをデビューさせていた時代が終わり、SMAPが方向転換してR&B色を強めて大ブレイクします。

女性アイドルは宝塚と比較されることが多いですが、それは短絡的であるように思えて、ちょっと疑問点があります。おそらく、今後は女性アイドルグループがジャニーズをお手本にすることも、更に増えるでしょう。女性だからとか男性だからという違いを過剰に考えたり、スキルがあるとかないとかを何か重要なことと考えるよりも前に、そのグループが実際にやろうとしているかを考えることの方が、当然、大事なんじゃないでしょうか。


また、そもそも「アイドル」という言葉が最初に日本で使われだしたのはプレスリービートルズが最初だったことを、思い出すべきかもしれません。

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)