「新しいTV」の国からキラキラ

 80年代を代表するアイドルソング糸井重里作詞、筒美京平作曲。
 前々回でも書いたようにTVの隆盛がアイドルという存在を創り出した、というのは多くの人たちが主張していることです。ただ若干、そう言うだけでは不十分かなとも思います。
 更なる技術革新、カラーTVが普及して初めて本格的なアイドルという現象が生まれたのではないでしょうか。最初の女性アイドルと言われる南沙織の登場、「スター誕生」の放送開始はカラーTVの普及と同時期です。
白黒テレビからカラーテレビへ(社会実情データ図録)
 当時10代の松本伊代の持つ「キラキラ」感のようなものはカラーではないと伝わるわけがありません。

 さて現在、TV放送の力は従来よりも低下しつつあります。それと共にCDというパッケージ商品の売上の低下により音楽全般がライブ・コンサート興行の比重を高めているのが状況です。
 お茶の間にも広く浸透していた、かつてのアイドルに比べて、現在のアイドルは、ライブや握手会に足しげく通う比較的少数のコアなファンによって支えられています。とは言えTVは、いまだマスへの伝達力では他を圧倒しています。AKBもPerfumeもTVで取り上げられなければ、ここまでの知名度を得ることはできなかったでしょう。ですから問題は比率の大小です。
 言えるのはライブのみの活動では広い地域で認知度を上げるには限界がある、ということです。まさに遠くに画像を伝播するtele-visionは不可欠です。そして既存の電波放送によるTV番組への出演に加えて、インターネット(通信)を通じた新しい動画配信技術がプロモーションする側から注目を集めるのは当然のことです。
 
BUBKA」最新号でも、ももいろクローバーによるUSTREAM動画の活用を新しい試みと評価しています。しかしUST放送に多い定点カメラ1台による引きの絵を基本とする画像を「現場での鑑賞に近い」として称揚する意見は正しいでしょうか。
 確かに、そこで批判されているようにTVや、その編集を踏襲したDVDパッケージではアップが多すぎて、ダンスパフォーマンスの全体像が判りにくくなっていることは往々にしてあります。しかしながら定点カメラが現実のライブ鑑賞と近いというのは、理論的に言って錯覚に過ぎません。
「目は二つあって立体視をしているんだから」というわけではありません。そのような考え方は浅薄な3D推進にしかつながらないでしょう。それよりも我々は意識、無意識に特定の部分に焦点を合わせてしまうからです。そして実際に身体を近づけていってしまうこともあります。それを擬似的に映像で表現する技法こそがクローズ・アップです。
 一息入れましょう。今度は80年代後半を代表するアイドルによる曲を。松本隆作詞、財津和夫作曲、大村雅朗編曲。

(本当はこっちを貼り付けたかったんだけど埋め込み禁止なので、残念)。

 クローズアップの技法は映画創世記にアメリカの監督D・W・グリフィスが、女優リリアン・ギッシュのあまりに美しさにカメラを近づかせたところから生まれたと言われています。
 先の「BUBKA」の評のように現場を過大に重視し、映像もそれに準じるべきとするのは転倒した意見です。我々がライブで常に感じるのは完全な充足感ではなく、よりもっと近づきたいという気持ち、もっと違う角度から鑑賞したいという気持ちのはずです。特に会場が大きくなってステージが遠くなればなるほど。
 解析度の低いUSTの映像で、引きの画面ではアイドルの魅力的な表情は掴みきれません。映画に対してTVでアップが多くなってしまうのも、比較して解析度が低く画面が小さいからです。


 去年ぐらいから、とある若い女性がカメラを担当し「ダダ漏れ」と称して単純に話題性のある現場を放送するだけのUSTがチヤホヤされてしまう現象がありましたが、新しい時代のTV、そして、そこにおけるアイドル現象とはそんなものではないでしょう。そんなものは、ちょっと手の込んだネットアイドルに過ぎません。
 確かに最近のTVの編集方法に批判されるべきものはあります。とは言え、今後、電波と通信という伝送路の融合、そしてWEB技術との融合が進むだろう新しいTVの環境でも、これまで蓄積された映像表現のプロフェッショナルな技術は活かされるべきものです。
 最後に、もう1曲。ほとんどライブと同じ振り付けで踊っているだけの映像なのに、カメラワークと編集だけで、特別なものを描き出している次のPerfumeのPVこそ、私たちの欲求に近いものだと思います。

BUBKA (ブブカ) 2011年 05月号 [雑誌]

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