サヨナラした大切なヒトを忘れない〜ドロシー随想メモ(3)
ドロシーリトルハッピーの「Life goes on」(以下「LGO」)はiTSなどで絶賛配信中です。
今回はドロシーの後輩たちによりパフォーマンスで。
一箇所、ドロシーのヴァージョンと振りで違うところがあって、ちょっと個人的にドキっとしたりするんですが、あえて明言はせず、第三回。
ということで、また文体を変える。
「LGO」の「消えてしまった星」というフレーズを単純な隠喩として受け止めず(そもそも俗な表現では「星になる」だろう)、文字通りにマクロの視点で考えることで、二番の最初に歌われることの意味が深く判るように思う。
まったくもう振り回してくれるわ
ひらめいた!使っちゃうエコな遠心力
溜めといて一気にビューン!!
ヒロイン(たち)を振り回すのは、もちろんヒトではない。前述のように軽い口調で語られるものは逆に大きな対象、つまり2011年3月11日に東日本を襲った自然の猛威だ。
ここでは、それこそエコロジカルな問題が含意されているわけだけれど、詳述は略して簡単に言えば、マクロな自然に脅威に晒されながらも、それを利用して生活を前進させようという意志が歌われている。
さて、ここまで書いてきて、ドロシーリトルハッピーことを知らない人たちには、いくら「LGO」のテーマを単純化しないと言っても、ちょっと曲の背景に関する情報の提供がされてなくて、不親切だったように感じました(あ、「LGO」についてのメモとしては、とりあえず終わりになると思うので、まとめは文体を戻します)。
やっぱり2011年3月11日の災害を実際に経験した彼女たちが歌う、という前提は動かしがたくある曲でしょう。
そして、「サヨナラした大切なヒトを忘れない」ことが、この曲を聴くための条件とはなるでしょう。
それは非常にローカルなことかもしれませんが、それだからこそ普遍的な意味を持つとも感じられます。
そして、私が単純に「復興」の二文字で言葉で、この曲を説明できないのは、次の一節が、未だ抱えている感情を歌ってもいるからです。
遠くからそして直ぐ隣で見守っていて
涙がこぼれてしまう夜は 話を聴いてね
この複雑さが、単純な「一体感」とは違った共感情を与えてくれるように思います。
話を聴く側、「あなたやあいつや君やあのコ」は「強くならなきゃ」いけませんから。
そして、それでこそ最後の「わたしたちが」という決意を理解し、共感できるように思います。
悲しみの果てに生まれたもの 新しい毎日
消えてしまった星のぶんまで
わたしたちが生きていく
わたしたちが歩いてく
わたしたちが明日になる
Life goes on!